2021-05-12 第204回国会 衆議院 外務委員会 第12号
ちょっとここをはっきりさせたいんですが、前回、価値の譲れるラインと譲れないライン、どこにあるんだろうという話があって、私は、やはり安易な価値相対主義に陥っては駄目なので、きちっと日本としてのラインを決めていこうと。 例えば、国によって、大臣もよく言いますけれども、民主主義の在り方というのは様々なありようがあるので、ここは尊重すべき余地というのはそれなりに広くあるんだろう。
ちょっとここをはっきりさせたいんですが、前回、価値の譲れるラインと譲れないライン、どこにあるんだろうという話があって、私は、やはり安易な価値相対主義に陥っては駄目なので、きちっと日本としてのラインを決めていこうと。 例えば、国によって、大臣もよく言いますけれども、民主主義の在り方というのは様々なありようがあるので、ここは尊重すべき余地というのはそれなりに広くあるんだろう。
こういう核心部分なしに懐を深めると、結局、楽な価値相対主義に陥って、やはり国家としての存在感も品格も傷つけると思うんです。 質問なんですけれども、その上で、やはりジェノサイドは許さない、民族浄化は駄目だよ、この価値判断は核心部分だと思うので、私、ここは、この話については、懐深く妥協をして広げましょうという話とは違う話だと思うんですけれども、大臣、いかがでしょうか。
ただ、この商業的平和論をとりますと、平和の代償として価値相対主義がとられるようになり、同時に、自由主義などの価値観を共有してきた同盟国に対する特別扱いが減り、さらに、踏み絵を迫るかのような利用、同盟国に対する利用もふえていくんだろうということになります。そうすると、我々は、米国以外のネットワークを選ぶことができないので、アメリカに対する脆弱性にさらされるということになります。
それは、一九六〇年代以降、やはり価値相対主義的な、人間が快さ、あるいはお金も含めまして、そういうような、要するに、人間の価値というものが、何か物あるいは快い、快楽主義と言うとちょっと大げさかもしれませんが、やはりそういうようなものが蔓延してしまったのではないかなというふうなところがあります。
もう一点お伺いしたいんですが、思想、良心の自由というのは基本的に、頭の中では何を考えても自由だということだと思うんですが、そういう意味での価値相対主義というのがこの国の前提となっているのかなと。
これは一種の価値相対主義に立脚している考え方でありまして、要するに、この世には客観的な公益などというものは存在しないという割り切りの上に成り立っております。実際には、多様な価値観や利害が存在しているだけであると。 そういたしますと、残るところはどういうことかと申しますと、組織政党というパイプを通じまして、それを議会に代表する、多数決で結論を出すということだけであります。